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法に執着することなく布施せよ

  • 作成言語: 韓国語
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作成: 2025-04-15

作成: 2025-04-15 23:37

「応無所住而生其心」(おうむしょじゅうにしょうきしん)
この一節は、菩薩が修行し、布施(せし、与えること)をする際に、いかなる「法」にも執着せずに行うべきという意味です。ここで「法」とは、物事、思考、概念、感情など、私たちが執着しうるあらゆるものを意味します。
簡単に説明すると:
"いかなる考えや形相、概念にも囚われず、執着することなく、心から湧き上がる慈悲心で与えなさい"という意味です。
つまり、

"私は良いことをしている"
"あの人は貧しいから助けないといけない"
"私は徳を積んでいる"

このような考えさえも手放し、純粋な慈悲心だけで布施をしなさいという教えです。

"菩薩は、いかなるものにもとどまることなく布施を行うべきである(菩薩応無所住行於布施)」または関連する一節として、「菩薩は法にとどまることなく布施を行うべきである(菩薩於法応無所住行於布施)」
この一節の意味は次のとおりです。

法(Dharma):ここで「法」は非常に広い意味を持ちます。

教え/真理:仏陀の教えや真理そのもの。
存在/現象:世の中のあらゆる物質的、精神的な存在や現象。
概念/観念:私たちが思考によって作り出すあらゆる観念や相(そう)。
この一節では、特に布施という行為自体、布施の対象、布施によって得られる功徳などに対する考えや執着を含む、あらゆる現象と観念を包含しています。

執着することなく(無所住、むしょじゅう):『とどまることなく』または『囚われずに』という意味です。ある特定の考え、観念、対象、結果に心が執着したり、囚われたりしない状態を指します。
布施しなさい(行於布施、ぎょうおせし):『布施を行いなさい』という意味です。布施(Dāna)は大乗仏教における重要な修行の徳目である六波羅蜜(ろくはらみつ)の第一で、慈悲心を基に、財物、教え、恐れなきことなどを与えることを意味します。

核心的な意味:
菩薩が慈悲心で布施を行う際に、次のようなものに心が留まったり、執着してはならないという教えです。

布施する「私」:「私がこんな良いことをしている」という自己意識に執着してはいけません。
布施する「対象」:誰に与えるかという分別心や、受け取る人に対する特定の考えに囚われてはいけません。
布施する「物」または「内容」:何をどれだけ与えたかという考えに執着してはいけません。
布施の「結果」または「功徳」:布施によって福を受けたり、良い結果を得ようという期待感に執着してはいけません。
布施という「行為」または「概念」:「布施をしなければならない」という観念自体や、布施という行為の形式に囚われてはいけません。

つまり、**完全な無心(むしん)と平等心(びょうどうしん)**で、いかなる見返りや結果も期待せず、「私」「あなた」「対象」「行為」という分別と執着なく、ただ慈悲心に従って自然に与えるべきだということです。
このような**「無住相布施(むじゅうそうせし)」**は、金剛経で強調される核心的な修行方法です。「相」にとどまらない布施こそ、真の空(くう)の知恵と慈悲が結合した菩薩の実践であり、最高の功徳を生むと説きます。これは、先に述べた「菩薩に相があれば、もはや菩薩ではない」という教えと共通しています。

出典:https://myear.tistory.com/1003 [ティナの話:ティストリ]

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